田中翠友第一歌集『ふるさとの駅(ホーム)に立てば』

あとがきに「この歌集は、昨年それぞれ七回忌と十七回忌を終えた母と息子に捧げたいと思います。」と記されている。かなしみも短歌という詩型にあらわすことによって、その心は濾過されて、いつしか、さらに高みへと昇華されていく。

電子辞書開けば覚えのない画面 夫の時間を覗いたような

夜泣きせし吾子を抱けば月光に母子はまたも一つとなりぬ

空っぽになってみたいとふらここに身をまかせれば乳房はありぬ

大切なものは誰にも冒されず色なきままの透けたる魚

ふるさとの駅に立てばいくつもの自分と別れたわたしが顕ちぬ

藤色のパジャマに母の匂いなし点滴強き匂いに消され

わが庭のあちこちに蜘蛛の巣は張られまるでセコムをされてるようだ

風でなく自分の意思で樹はさやぐそんな気のする晩秋の午後

病室に「青い山脈」流れおり胃瘻の母の食事つましき

夫の背の小さきリュックのほのぼのとペットボトルも散歩しており

逢魔が時に夫の帰りを待ちいたり落椿七つ八つほど拾い

防音の「老健」に聞こえぬ街の音「老健」の声も街は気づかぬ

闘病にやつれし姿いまは消え死化粧の母すでに気高き

諍いを避けて帰りし今日のわれ遠近両用眼鏡を外す

住み慣れしわが家で最期をとう夫古希のリフォーム 猫が伸びする

吐き出して楽になるより虚しさが甦りくる亡き子を詠めば

むかし昔わたしと繋いだ手を離しケラケラ笑った あの影法師

手賀沼の上は一面の空なりて雲はいいなあー独り舞台ぞ

思い出はいつでも胸の中にある 母さんはもう大丈夫だよ