日高堯子第十歌集『水衣集』

短歌は報告歌でもなく、自分の知識をひけらかすものでもなく、いのちへの感性を大切に紡ぐ器でもあると、常々思っています。私にとって心地良いものが流れている歌集です。

小春日のなかに石蕗が咲いてをり母は死んだり生きかへつたり

いのち老いて母はさびしい縫ひぐるみ さはつてほしいさはつてほしい

おむすびころりん落ちゆく穴を隠したる枯野あかるし着ぶくれて行く

かなしみはさびしさよりもあたたかし蕗の薹三つ野辺のはじまり

昨夜つくりし小鍋のお粥ひつそりと母死にし後のわたしが食べる

呼ぶ声をうしなひたりし朝の耳潮騒ににた耳鳴りが濃し

大山蓮華蕊あかく咲き この夕べ生きてわれらは花をかこみぬ

さし出すはわたしの歌集 撃ち殺した兎の毛皮見せるごとくに

青みそめたる草生ひからせこの雨は裸足の雨とききてゐたりき

人を思うこころが今日のわれを支ふ 崖の水仙みな海をむく

しろじろと椎の若葉の香を吸いぬわれは死者に触れし者として

ほの老いて昔の時が往き来するつめたき廊下 睡蓮が咲く

うちがはを軽く軽くし生きるすべわれは得手なりわがままに老ゆ

糸とんぼ鳩尾あたりをつつきをり ああいまわたしは淋しいのか

母はわが膚に恋しく父はわが背にひびきて秋野あかるし

潮泡のやうに茅の揺れてをり さらさら生きむわが草衣

草がおほひ雨が消しゆく日々の跡でんでん虫ひとつゆつくりと這ふ