2019-01-01から1年間の記事一覧

弔辞

友が亡くなった。まさに晴天の霹靂。癌とたたかっていた事、それも再発であった事すら知らなかった。通夜に参列しホテルに戻ってから、友とのいろいろな思い出がどっと押し寄せ、気づけば朝の4時過ぎ。ホテルに備えてある便箋に友におくる言葉を書き連ねる。…

村田光江第一歌集『記憶の風景』

千葉県鎌ケ谷市のカルチャー教室でともに学んでいる。かって、編集者として携わっておられた雑誌『教育』のなかからのニ編のエッセイもあり、〈私のうけた戦後教育ー混乱と模索の時代〉等、なかなか読み応えのある御歌集。 楽章と楽章の間に聴衆らみなしわぶ…

篠原節子第2歌集『雨のオカリナ』

これからも全身全霊短歌に精進していきたいという、作者。第一歌集『百年の雪』から三年にして、たちまちの御出版である。 少し勝ち少しは負けて今日は雨、耳あかるます君のオカリナ とどめ得る若さなどなく手のさびしレモンをひとつゆつくりかじる 同じ時を…

齋藤芳生第三歌集『花の渦』

さて私のつくる歌は、私という人間は、と自身に問いている作者。歌集のなかにある濡れるの動詞。パレスティーンの少年、群青の朝顔、朽葉、街、山も濡れているなり。 林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く あ、まちがえた、とつぶ…

飢餓と餓死

人生最後の食事には好きな物をたらふく食べたい。でも、死にむかっていく体には咀嚼する力、飲み込む力、消化する力、全てが無いに等しく、とても果たされない願望。母を看取りながら切に思ったのは死とは、飢餓状態が続いて全ての生きる力が削がれていく餓…

坂井修一氏、第十一歌集『古酒騒乱』より

匙投げてよいかと問へばほつかほか西郷隆盛わらふ夕壁 終はらない書いても書いても らつきようが夜中にひかるわたしの机 きんつばをほほばりてわがおもへらく〈鍔〉の下なるしらはのひかり はづかしいおたまじやくしでつるつるとあちこちはあはあわたしはい…

江國梓氏、第ニ歌集『桜の庭に猫をあつめて』

いつの日か我が家も空き家となるのだらう桜の庭に猫をあつめて 花山周子氏の装幀の表紙には五匹の猫が描かれている。猫ではあるが人でもあって。そこに暮らしていた家族の思い出のように温かい。 本当にあつた怖い話をするやうにきみのことずつと好きだよと…

川島結佳子氏、歌集『感傷ストーブ』

今年四月の歌集出版を祝う会にて受付を担当して下さった。歌集『鈴さやさやと』を出版されていた佐山加寿子氏との合同の祝賀会であった。その折、近々歌集をお出しになるとお聞きしていた。若々しい感覚に出会えて嬉しい。 ハードルは高齢化にて低くなりアラ…

水谷文子歌集『どなた』

水谷文子氏の歌集が手許に届いた時、私は母を亡くしたばかりであった。『どなた』は、わが母に〈どなた〉と問はれふるさとにことば失ふわたしは〈どなた〉のお歌からつけられている。私は直ぐに開いて読むことが出来なかった。きっと涙でぐしょぐしょに濡ら…

ひかりの曼荼羅

母は6月28日に亡くなった。今際の際まで意識がはっきりしていた。 お母さん、そちらはどんなところですか?会いたかった人たちに会えていますか?私はようやく我にかえっています。母が好きだった、立葵、花魁草、大待宵草が、今年は庭一杯に咲き誇っています…

釈迦誕生図

涅槃図の猫

もう、何もいらないよ全部捨てて死に場所を綺麗にしておくれと母は言った。あんなに物を捨てるなと言っていた母が。言われた通りに全て片付けた。さっぱりと片付けたその夜から母の容態は悪化した。釈迦入滅の涅槃図に猫が描かれている珍しい画がある。他の…

たふれやすき棒

何も食してないのに、母は大量の便を出した。横たわったまま身動きがとれないので、急いで衣服をハサミで切る。人間は、何て、厄介なものを身につけている獣なのだろうか。 すこしだけ着かざりからうじて立ちてゐるわがうつし身はたふれやすき棒 よこたはる…

この世の身体

母からは戦争の怖さ虚しさひもじさを教わった。昭和24年生まれの私は最初の頃は軽い話し相手程度に聞いていた。 秒針の音を聞きながら母と二人の部屋にいる。もう何も受け付けなくなった。それなのに少量の便とお小水がでる。最後までオムツをつけなかった。…

覚悟

母は在宅で最後を迎える事を、選んだ。点滴、延命措置はしない。承諾書に私はサインした。その選択はとても辛いものである。混濁する意識の中で、下着を取り替える私の手を拒否する。背なをさすれば、そばをはなれるように手でサインをする。ひしひしと伝わ…

尊厳

私の母は、今年令和元年11月に96歳になる。今まで一人で暮らしていた。6月はじめ、母はお腹をこわした。調子を崩した母はだんだんに食欲が落ち、ここ一週間水も受け付けなくなった。自分の事は自身でと、今まで頑張ってきていた母。他人様に迷惑をかける、そ…

川野里子氏第六歌集『歓待』より

大涅槃図哀しみを描けば十畳のおほきさを超ゆる長谷川等伯 涅槃図の嘆きの輪より逃げ出すはいかなる獣 コンビニへゆく 母とわれ同行二人は哀しけれ持鈴鳴らしてそれぞれの空 全方位晴れてゐる冬「さよなら」と言われてをりぬ「またね」と言えば 海に触れ空に…

仏涅槃図

仏陀は食中毒で亡くなったと言われている。山盛りの御馳走をお椀にささげているチュンダ(純陀)と言う優波塞(うばそく)。この在家の信者は後に皆から非難され自殺をしたという生臭い事実もさり気なく描かれている涅槃図。国宝、高野山金剛峯寺の涅槃図には、…

繧繝彩色

アラベスク

松村由利子氏の第五歌集『光のアラベスク』が手もとに届いた。文様のアラベスクは、仏画を描く私にはとても身近なものです。特に忍冬文様には様々な発展形があり美しい。丁度この季節、わが庭にスイカズラが咲いている。雑草の一種だけれど、花も香りも好き…

五秘密曼荼羅

仏画にもある“擬き”

もどき、という言葉で先ず思い浮かべるのは、がんもどきでしょうか。似せて作ること、似て非なるもの、この場合は雁の肉に味を似せたところからとの一説もあります。虫の世界にも、人の世界にも○○○もどきがありますが、実は、仏画の世界にもあります。私自身…

普賢菩薩と文殊菩薩

釈迦三尊像は、釈迦如来、脇侍に文殊菩薩、普賢菩薩の事、文殊菩薩は獅子に普賢菩薩は白象に乗っているお姿が多い。仏画の普賢菩薩像のなかでは、東京国立博物館の国宝が特に素晴らしい。初期の仏教は女人は穢れを連想させるという考えがありました。やがて…

馬場あき子歌集『あさげゆふげ』より

眼を洗ふこののちくるもの怖けれどわれに残されし時間なほ見ん おそろしと思はば思へ橋姫の面をかけしわれは鬼なり 若沖はああ天人の碧き眼を鳳に与へこの世蔑せり 狂言師「花に目がある」と叫びたり空爆下の生者負傷者死者の瞠く眼 生きるとはつねに未済の…

血が通っている仏

仏画を描く時、尊像の肌は胡粉、丹、黄土淡口の三色に、ほんの少しの錆群青を加えて塗ります。錆群青は肌に血の気を表す為です。尊像は御顔が命、眼、鼻、口、眉と描き入れる時、いつも手が震えなかなかおもうようにならず、先日も落胆していたところ、少し…

今年、猪年の守り本尊は阿弥陀如来。今まで来迎図を2枚描いたが、どちらの阿弥陀如来も斜め横向き。そこで、正面、つまり私と目が合う阿弥陀如来を描いた。来迎印の親指と人差し指の間の蹼も見落とさない様に、しっかりと。 如来なる蹼洩れて来しわれら博物…