齋藤芳生第三歌集『花の渦』

さて私のつくる歌は、私という人間は、と自身に問いている作者。歌集のなかにある濡れるの動詞。パレスティーンの少年、群青の朝顔、朽葉、街、山も濡れているなり。

林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く

あ、まちがえた、とつぶやく子どもの鼻濁音嬉しくてぽんと咲く木瓜の花

間違いは誰にでもある 消しゴムで消してはならぬこと、消えぬこと

ああ春の向こうからどっと駆けてきてふくしまの子らがわれの手を引く

パレスティーン、と少年答えその眼伏せたり葡萄のように濡れいき

死者の数簡潔に伝えらるる夜の器ふるふる豆腐ふるわす

集落の遠き冷夏を記憶して群青の朝顔は濡れたり

ひとを恋う髪すすがんとする水のするどくてはつか雪のにおいす

その枝のあおくやさしきしたたりよひとは水系に傘差して生く

みちのくの春とはひらく花の渦 そうだ、なりふりかまわずに咲け

三十代のこんな端っこが焦げていてなんてことだろう君という火は

わたくしのこころ傷んでいるところつうっと流るる桃畠の雨

宙に浮く巨き眼と向き合えば昏きこころに浸み出す水

金の砂、はた銀の雨わたくしの三十代にながくふりいし

会津というふかきうつわにうるかしておけばじゅうぶん 哀しみは癒える

銀河という瀑布を仰ぎずぶ濡れになったこころに、何も聴こえない

スノウ·ドームのなかに籠っているような一日だった添削をして

ほったらかしにされてうれしい日なたみず三月の花をうかべていたり

ふくしまをはるばると流れきて濁る河口に春はとどまっている