水谷文子歌集『どなた』

水谷文子氏の歌集が手許に届いた時、私は母を亡くしたばかりであった。『どなた』は、わが母に〈どなた〉と問はれふるさとにことば失ふわたしは〈どなた〉のお歌からつけられている。私は直ぐに開いて読むことが出来なかった。きっと涙でぐしょぐしょに濡らしてしまうからと。

灯の灯るやうにほほゑみ母が言う〈生きててよかつたふみこに会えて〉

わたくしをむすめと呼ぶひと母ばかりこの世ひとりの母が老いゆく

近代のふりだしにありし〈男女同権〉いくたび戻るその振り出しへ

手を休め電話しようと思ふとき荒野のやうだ母の亡き日々

杖の人を追ひ越し翳る 足早に母の一生を過り来しわれ

介護ベッド返して奇妙な明るさに畳灼けたる母の寝室

亡き母はまま母育ち人好きのさびしき繭を一生かかへて

献体の母かへりきぬ祭壇に溢れよ白きカーネーション

たましひは天にやすらふ母なれど現身おもへばながきニ年余

母の骨つちへ返せば夏陽射し六にんかぞくののこる三にん

迂闊なわれうくわつのゆゑに晴朗に過ぎ来し日々かほのけく笑ふ

生はつかのま死こそ本然と想ふときこのつかのまのいたく愛しき

夫病めばまづしきもののさいはひはただあることがよろこびとなる