高尾文子第六歌集『あめつちの哀歌』

高尾文子氏は歌林の会、創刊会員の方。あとがきに、戦争、分断、差別、貧困、虐待、そしてまさに目前の疫病まで、紀元前に語られた風景が、はるか久遠の時空を超えて、紀元後の今日の風景に投影されている、又、どの世紀にも人間の普遍のかなしみが充ちている、と記されています。未来の平安を祈り、人々への愛隣の思いを詠う珠玉の第六歌集。

 

白桜忌 桜桃忌 林檎忌 うつくしい忌日ののちに来る原爆忌

モノクロの映画「黒い雨」大型のテレビ画面を汚しつつ降る

もう遠い過去とは言へずわが書架の三鬼の卵•邦雄の生卵

ばら一輪の神秘も知らずパソコンに指示されひと日キー打つてゐる

話題作あまた華やぐわが書架に世にとほく黙す歌集たふとき

概算といふ数字もて括らるる今日の死者数異郷のテロの

ことばの森に迷ひし真昼書を閉ぢてやはらかな水にまなこ洗へり

同郷同窓たいせつにする人しない人 大切にする人とけふ観る桜

風光る野毛大道芸だぶだぶ服のピエロは遠世の詩人かもしれぬ

詩人はランプに火をともすだけーディキンソンの掌ひらくこころ渇く日

ふしぎな国にわれはゐるのか朝刊の写真虐待死した笑顔の児

おほははの膝はふしぎな椅子のやう笑ふ児泣く児寄りきて憩ふ

行きに遇ひ帰りに言問ふ此処に立つ一樹よずつとここでいいのか

群れの中の孤独はひとりの孤独より寂寥あるや広場の鳩よ

もたぬことはとびたつこと。ああ庭に来し鳩よおまへのことばのやうな

背負ひきれない重荷を神はあたへずと誰がこゑならむ秋天仰ぐ

あすはなきものと思はば汗牛の書より足下のつゆ草の青

終戦記念日敗戦記念日と言ひ直す人のこころにある暗い淵