覚悟

母は在宅で最後を迎える事を、選んだ。点滴、延命措置はしない。承諾書に私はサインした。その選択はとても辛いものである。混濁する意識の中で、下着を取り替える私の手を拒否する。背なをさすれば、そばをはなれるように手でサインをする。ひしひしと伝わ…

尊厳

私の母は、今年令和元年11月に96歳になる。今まで一人で暮らしていた。6月はじめ、母はお腹をこわした。調子を崩した母はだんだんに食欲が落ち、ここ一週間水も受け付けなくなった。自分の事は自身でと、今まで頑張ってきていた母。他人様に迷惑をかける、そ…

川野里子氏第六歌集『歓待』より

大涅槃図哀しみを描けば十畳のおほきさを超ゆる長谷川等伯 涅槃図の嘆きの輪より逃げ出すはいかなる獣 コンビニへゆく 母とわれ同行二人は哀しけれ持鈴鳴らしてそれぞれの空 全方位晴れてゐる冬「さよなら」と言われてをりぬ「またね」と言えば 海に触れ空に…

仏涅槃図

仏陀は食中毒で亡くなったと言われている。山盛りの御馳走をお椀にささげているチュンダ(純陀)と言う優波塞(うばそく)。この在家の信者は後に皆から非難され自殺をしたという生臭い事実もさり気なく描かれている涅槃図。国宝、高野山金剛峯寺の涅槃図には、…

繧繝彩色

アラベスク

松村由利子氏の第五歌集『光のアラベスク』が手もとに届いた。文様のアラベスクは、仏画を描く私にはとても身近なものです。特に忍冬文様には様々な発展形があり美しい。丁度この季節、わが庭にスイカズラが咲いている。雑草の一種だけれど、花も香りも好き…

五秘密曼荼羅

仏画にもある“擬き”

もどき、という言葉で先ず思い浮かべるのは、がんもどきでしょうか。似せて作ること、似て非なるもの、この場合は雁の肉に味を似せたところからとの一説もあります。虫の世界にも、人の世界にも○○○もどきがありますが、実は、仏画の世界にもあります。私自身…

普賢菩薩と文殊菩薩

釈迦三尊像は、釈迦如来、脇侍に文殊菩薩、普賢菩薩の事、文殊菩薩は獅子に普賢菩薩は白象に乗っているお姿が多い。仏画の普賢菩薩像のなかでは、東京国立博物館の国宝が特に素晴らしい。初期の仏教は女人は穢れを連想させるという考えがありました。やがて…

馬場あき子歌集『あさげゆふげ』より

眼を洗ふこののちくるもの怖けれどわれに残されし時間なほ見ん おそろしと思はば思へ橋姫の面をかけしわれは鬼なり 若沖はああ天人の碧き眼を鳳に与へこの世蔑せり 狂言師「花に目がある」と叫びたり空爆下の生者負傷者死者の瞠く眼 生きるとはつねに未済の…

血が通っている仏

仏画を描く時、尊像の肌は胡粉、丹、黄土淡口の三色に、ほんの少しの錆群青を加えて塗ります。錆群青は肌に血の気を表す為です。尊像は御顔が命、眼、鼻、口、眉と描き入れる時、いつも手が震えなかなかおもうようにならず、先日も落胆していたところ、少し…

今年、猪年の守り本尊は阿弥陀如来。今まで来迎図を2枚描いたが、どちらの阿弥陀如来も斜め横向き。そこで、正面、つまり私と目が合う阿弥陀如来を描いた。来迎印の親指と人差し指の間の蹼も見落とさない様に、しっかりと。 如来なる蹼洩れて来しわれら博物…

双頭の蛇

双頭蓮の写真を頂いた。1本の茎に双子の花はなかなかお目にかかれない。幸せのおすそ分けのようで、お心遣いが嬉しい。双頭と言えば、小学生の頃、蛇を見たことがある。夏休みのラジオ体操の帰り道、神社のそばの小さな川に、それぞれの口にカエルの手と足を…

石の地蔵さん

美空ひばりの花笠道中は私が生まれて始めて口ずさんだ歌謡曲。10歳位の頃だったか。これこれ石の地蔵さんと呼びかけるように始まるこの歌を夢中で覚えた。ぽっかり浮かんだ白い雲と唄いながら、空の雲をいつまでも見ている子であったように思う。あの頃、石…

迦陵頻伽

随分前になるが中尊寺の国宝、金剛華鬘を描いた。上半身は人、下半身は鳥の姿の一対の迦陵頻伽が美しく透かしぼりになっている。最近、飼っているインコが口笛を真似るように鳴き始め、鳥でもない、人でもない妙なる声音に鳴くという迦陵頻伽の事がおもいだ…

でんでん太鼓

阿弥陀如来を中心にした来迎図の菩薩の持ちものは様々。その中に振鼓がある。今で言うでんでん太鼓。白雲に乗り右手で小さな太鼓を叩き、左手ででんでん太鼓を振りながら先頭をきってやって来る。よしよし良い子と幼子をあやしているような、そんな気がした…

仏画

お寺を訪れた時に何方かが描かれた仏の画によく出会います。わたしも仏画を描いているので、じっくり拝見をさせて頂いております。ある時、とてもさみしくて、かなしげな憂いのある御姿の仏に出会いました。今でもくっきりと目蓋にうかんできます。 見る人の…

阿弥陀聖衆来迎図

阿弥陀如来を中心にした来迎図には、大勢の仏様がいますが、その中にただ一人実在の僧がいます。2世紀の頃インドで生まれた龍樹という人です。頭を剃りあげて合掌の御姿。どうして、お坊さまがと不思議に思いながら描いたものでした。死はただにひとつの通過…

薬師如来

ある時、曼荼羅に薬師如来がいない事に気がついた。胎蔵曼荼羅の中台八葉院には大日如来を囲み八如来が座している。どうしてお薬師様がいないのか先生にお聞きした。返ってきた答えは、「椅子が一つ足りなかったのでしょう」もちろん冗談ですが。 天の川ふり…

地蔵菩薩

母の姉は笑顔のやさしい人であった。何度か泊まりに行った家が雪に倒壊してしまい、叔母は上市町眼目(さっか)にあるお寺に長きにわたり身を寄せた。地蔵菩薩を描き終えた夜、一度も行った事のないそのお寺が夢に出て来た。 ふるさとの雪につぶれしをばの家馬…

仏様は美男

正面を向く、阿弥陀如来を描き終えた。与謝野晶子は 鎌倉や御佛なれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かなと詠んでいますが、仏様は大概男性、立派な髭があります。美男に描けたかなぁ。

お金で買えないもの

地獄の沙汰も金次第と聞きますが、そうなのかなぁ茫と立つわが鼻の先 鬼やんま 時の使ひのごとくとび去る『空とかうもり』より

平和の尊さ

大き柿ほほばりにつつ母の言う平和の味は何ておいしい戦争を知らない私は、母の何気ない言葉から平和の尊さを教わっています。

短歌と仏画

第一歌集、空とかうもりを出版したばかり。仏画は言葉では言い表す事のできないものを、描きます。そんな仏画と短歌を一冊におさめました。

仏画